いつだってたくさんの手が、自分に向けて伸ばされている。あとは自分がその手を取るだけ。


 

何か悩みごとや困ったことがある時、
それらを解決するには
いくつかの方法があるけれど、

人は時として追い詰められてしまうと、
いつもは広く持てている視野が
グググっと狭くなってしまって、
自分が作り上げてしまった脳内ワールドで
ただひたすらに思い悩んでしまうことがある。

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そういう時って
何をやってもうまくいかなかったり、
自分に自信が持てなくなったり、
人や世の中を批判的に見てしまったり・・・
そういうことを「過剰に」やりがち。

だけど本人は
「こういう風にしなきゃ」
「もっとやらなきゃ」
「自分が何とかしなきゃ」って、
自分なりにあれこれと考えて
良かれと思って行動しているから、
そんな自分には中々どうして気が付くことができなくて。

 

中には
「なんだか自分変だな」
「これちょっと違うよな、ダメだよな」
って薄々感じていても、
自分の中でそれが「クセ」になってしまっていて
自分の力ではどうにもできなくて、
苦しみを抱えながら
間違った自分を貫いて
自分を追い込んでしまう。

誰も自分のことを理解してくれないような、
誰も自分のことを助けてくれないような、
誰も自分のことを見てくれてないような、
ともすれば、世界に1人ぼっちのような感覚。

 

流石にそこまでヘビーなことは思わないにしても、
「誰のことも頼っちゃいけない」
「自分が頑張らなきゃいけない」って
「積極的に1人を選んでいる」ことは、
物事によって、毎日の中で割と自然に
誰の身にも起こり得ることじゃないかなと思います。

でも基本的に人は、1人はキライなもの。

(だって寂しいじゃない。私は寂しいよ)

 

そんな時、
ふと立ち止まって
グルッと周りを見渡してみると、
事実、私たちの周りには
たくさんの「人」が存在していて。

その人たちと自分と、
当たり前に関係性の違いはあっても、
その関わりの深さに違いはあっても、
「誰もいない」という人は真実いなくて、

だから誰もが、
物事の大小に関わらず

「望めば手を貸してもらえる」
「望めば助け、支えてもらえる」

状態にあるのは、間違いがない。

そして基本的に、
自分を取り巻く人間関係で
距離が近ければ近い人ほど、
最初からその手が差し伸べられていたり、
今その時は差し伸べられていなくても
「声が掛かればいつでも」と
スタンバイされた状態で
いたりすることは多くあったりする。

 

だから大事なのは、
自分がそこ(助けてもらえるという事実)に
気が付くかどうか。気が付けるかどうか。

気が付いた上で、望めるかどうか。

差し伸べられた手を取って、
自分の抱えている物事や
もしかしたら自分そのものを
誰かに預ける勇気を出せるかどうかで、
私たちが生きる世界は、
どこまででも優しくなれる。

 

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・・・とはいえ、
これまでに人に頼ってきた
助けられてきた経験が少ない人は
「誰かの手を借りる」ということが
なかなかに難しいことだったりするので、

そういう人はまずは、
日常の簡単なことから助けてもらう
「助けて」って言うことから始めたらよくて、
助けてもらうことを
無理にやる必要はないかなと思います。

だけど、いつだって望めば
手に入るものはたくさんあるから、
その事実だけは頭の片隅、
心の片隅に置いておいて、
必要な時に必要な助けを借りられる自分を
ゆっくりでも段々とつくっていけたらいい。

 

そうやって私たちは、時に助けられ、
反対に助けたりしながら毎日を過ごしていて、
だからみんながみんな、
「お互い様」で「お陰様」。

お互い様でお陰様な毎日を、
今日も大事に過ごそうと思います。