自分という人間を理解するために必要なこととは?


 

こんばんは、まなです。

名古屋ホテル滞在中で、
暇すぎてウッカリ筋トレしすぎて
自分でも何やってんのかなって思ってるのですが、
ブログでも書こうかなってなりました。

と、そこで思い出しました。

(あ、そういえば前にメールが届いていたぞ?)

ということで、
ちょっと前に大学生の男の子から
ブログ記事に関して質問をもらっていたので、
今回はそちらに回答してみようと思います。

とある大学生男子からの質問

質問があったのはこの記事。

>>「病める時も健やかなる時も」の難しさと、振れ幅で違うのが普通の自分。

それで、頂いた質問がこちら。

突然すいません、大学生してるものです!
ブログを読んで、内容を咀嚼したくて、
お問い合わせしました。

ブログの
『「病めるのも健やかなる時も」の難しさと、
振れ幅で違うのが普通の自分。』
の中の

ー 平均ラインの日常を
淡々と、当たり前に回せる人たちを
私は結構うらやましいと思っていて、
それができない自分を
「ダメな人、未熟な人」と
思っていた時期があったのだけど。
ただのタイプの違いで
どう足掻いても私にはできない!
そもそもの性質が違う!
ということが分かってからは、ー

についてなのですが、
ここ最近、この内容に
共感することが僕自身もありまして、
端的にまとめると
「自分の現在地を知り、それを認める」
ということだと思ってます。

身近の素晴らしい人をみて、
「自分はあんなに、いつも明るくないな」
って思う裏側には
「自分も努力さえすれば、
諦めなければああなれる。
だって同じ人間なんだから!」
って思ってるからだと思うんです。

でも、自分にはどう頑張っても
そんな風にはなれないことが、
いい意味でわかり悟る時があります。
そんな時に、ブログの内容のように
わりきれると思うんです。

陳腐な例えかもしれませんが、
私たちは、ウサインボルトをみて、
「あんな風になるには」
と普通は思わないと思います。

これぐらい極端に、この土俵では
自分の力量不足と思えれば簡単に、
諦められますが、
実際はこんなに単純には
自分の可能性の限界を認められないと思います。

そこでお聞きしたいのですが、
まなさんはどうやって、そこの線引き
の精度を上げてらっしゃいますか?

単純にはなるかと思いますが、
一つは他者との触れ合いや、
読書で得られる知識を増やし、
これらを総動員して、自分の現在地を知る方法。

これが一番ベタだと思うのですが、
ほかになにか別の方法で
気づかされることなどあると
思われることはありますでしょうか?

少し長くなってしまいましたが、
もし、よろしければお返事頂けると幸いです。

個人が特定されることはないだろうと思ったので
全文をまるっと掲載しています。

まなの回答

最初にお伝えしておくと、
この記事はメッセージを送ってくれた
質問者さん向けに書きます。

なので、話の筋道が見えないという方は
まず該当のブログ記事を読んでから
この記事に戻ってきてもらえたらなと思います。

(もしくは、この記事自体を
「読まずにスルーする」という選択肢も
大いにアリだと思います)

>>「病める時も健やかなる時も」の難しさと、振れ幅で違うのが普通の自分。

大事なのは「自分という人間の”造り”を理解し、受け入れること」

まず訂正したいなと思うのは

ここ最近、この内容に
共感することが僕自身もありまして、
端的にまとめると
「自分の現在地を知り、それを認める」
ということだと思ってます。

の部分。

私が書いている記事の内容としては、
「自分の現在地を知り、それを認める」ではなく
「自分という人間の “造り”を理解し、受け入れる」ということです。

自分の現在地ということは、
「そこから未来に進んでいけば
出来るようになる可能性がある」と言っていて、
そこには希望や期待が含まれています。

私が言ってるのはそうではなくて、

「今だろうが
未来だろうが、

自分には出来ない」

自分という人間は
その物事が出来るようには
“造られていない”から、

もはや努力云々でどうこうなる物事ではなく
(厳密には努力や工夫で
多少は出来るようになると思いますが)
希望の持ちようも、
期待のしようもないということです。

それこそウサインボルトと私だったら
明らかに体の造りが違うので、
言われている通り
彼を目指すことは最初からしません。

私が記事内で書いているのは
それと同じことです。

力量不足とか可能性の限界とかっていうより、
「搭載されてるシステムの違い」みたいな感じ。

もちろん、そうはいっても
「私はこれが出来る」「これが出来ない」
というのは、物事によっては
単純に諦められるものではないですが。。

自分という人間の”造り”を理解する方法

自分を理解する方法はたくさんあるので、
ここで全部を挙げるのは流石に控えるとして。

質問者さんはこんな方法を挙げられていました。

一つは他者との触れ合いや、
読書で得られる知識を増やし、
これらを総動員して、自分の現在地を知る方法。

うーーーーーーーーーん。

これらの方法も
もちろん良いし大事だとは思うんですけど、
私の個人的な意見で言うなら
何事も「体験に勝るものはない」と思います。

  • 他者と触れ合っても、違いが分かるだけ
  • 読書をしても、情報が得られるだけ

※厳密には”だけ”ではないですが、
質問者さんの指してるのはこの2つだと思うので
今回は乱暴に言い切ります。

本当に大事なのは、
それらを通して得た違いや情報を元に

  1. 「自分はこうなのでは?」と予測を立てて
  2. そこから自分の行動を組み立てて
  3. 実践して試してみて
    (1度や2度ではなく何度か、やり切ることをして)
  4. 実際どうだったかを確認する

そうして「自分にまつわる真の情報」を得て
更に精度高く磨き上げていくことだと思っています。

自分の「外」から得られる情報は
自分を理解するための「ヒント」でしかないから、
ヒントを元に自分自身を解き明かすことは、
自分の体を使って実際に試してみないと
分からないよねって。

 

やって、やって、やって、
もうこれ以上やれないってぐらいやった先。

物事を判断するタイミングがあるとしたら
私はそこだと思っていて、
そこまでいっても出来てなかったとしたら
いい加減気付きます。

「あ、私これ、出来ないんだなって」
(だって、実際に出来ていないから)

もし私が、
自分には出来ないにも関わらず
何か諦められないものを持っていたとしたら、

<やり切ってないから諦められない>

んだなって思うと思います。

まとめ

そんなわけで。

これちゃんと質問の回答になっているのか?
果たして心配な部分もありますが、
私の答えとしては上記のような感じです。

多分ここまで読んだ方は
もう大方の予想がついているかと思いますが、
私という人間は

  • 結構なストイックであると共に
  • 結構な現実主義者

です。(あと、結構めんどくさい)

合う人には合うだろうし、
合わない人には合わないだろうなって思うので、
私の意見が全てとは思わずに
(誰も思わないと思うけど)
1つの参考意見として
読んでもらえたらいいかなって思います。

梅昆布茶でごまかしとこっと。