「病める時も健やかなる時も」の難しさと、振れ幅で違うのが普通の自分。


 

病める時も健やかなる時も。

日常を淡々と回していけたら
それはとてもいいと思うし、
できたらいいなって思ったりする。

なのだけど、

病める時は病んでしまうし、
健やかなる時はハイになるし、

基本的に私の中で
「日常」というのは安定しない。

日常というか、
「生活」とか「暮らし」というか、
「人間らしい暮らし」というか。

(や、全然、紛うことなく人間なのだけど。)


よく「生活感がない」と
言われることが多いのだけど、
それは見た目や雰囲気から
そう見えたり感じたりするというよりは、

文字通り、真実私が
「生活をしていない」から、
ただその通り、そうなんだろうと思う。

生活というものが
私は感覚的によく分からなくて、
私の毎日は「生活している」というより
ただ「生きている」と表現するのが、
私的にはとても、とてもしっくりくる。

ある時は仕事に没頭し、
またある時は
友達や彼と一緒に過ごし、
また別のある時は
自分の好きなように好きなことをして、
そのまた別のある時は、
自分という個性も忘れ去って、
ただ、ただ存在するように存在する。

それは多分、
私にとって「これが普通」っていうものが
「平均的なライン」ではなくて、
ムラっ気やアップダウンみたいな
「振れ幅そのもの」を指すからで、

とにもかくにも、
瞬間瞬間を「ただ、生きて」いる。

私みたいな
「振れ幅な毎日を生きてる」人にとって
「平均ラインの毎日を過ごす、暮らす、生活する」
ことって、結構に難しい。

基本的に時系列が「今」だから、
過去から今を経て未来まで続く時系列の物事に
いまいちピンと来ないというか、
反応が遅れるというか。

(プライベートは
どんな風に過ごしてるんですか?
って聞かれると、
その時々で色々だから答えに詰まる。)

(プライベートでは
何をするのが好きですか?なら、
いくらでも答えられるんだけど。)

で、冒頭に戻るんだけど。

病める時も健やかなる時も
平均ラインの日常を
淡々と、当たり前に回せる人たちを
私は結構うらやましいと思っていて、

それができない自分を
「ダメな人、未熟な人」と
思っていた時期があったのだけど。

ただのタイプの違いで
どう足掻いても私にはできない!
そもそもの性質が違う!
ということが分かってからは、

病む時は病んで、
健やかな時はガンガン動いて、
疲れたらくたばって、
甘えたければ寄っかかって、

そんな風に
「今の自分」に合わせるようになったら、
それが私の「過ごし方、暮らし方、生き方」と
言えるようになったなと思う。

 

そんな、思うままのつれづれ。

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