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MISSION

私を生き切る、使い切る。

豊かな感性を元にこの世界を表現し
自分としてこの人生を生きていく。

PHILOSOPHY

MANAの哲学やエモーショナルな部分

いついかなる時であっても、
私として生き、私として在り、
浮かび顕(あらわ)になるもの全てが、
私以外にはありえない。

喜びと共にある時も、悲しみと共にある時も、
愛ある時も、誇りある時も、自信ある時も、
また、それらに欠ける時でさえも。

私を生き切る、使い切る。

私という存在の持つ
煌めきを感じながら、放ちながら。

この生の絶対的なパートナーである
"私自身"への信頼と共に
たった1度きりの人生や体験を、心行くまで堪能する。

日常を過ごす中で。
非日常に触れる中で。
人と心を通わせる中で。
自分の内側に向かう中で。

"私だけの視点と感性"で世界を捉え、
その時々に浮かぶ"多彩な私"を捉えながら、
意味を与え、言葉を与え、世界に向けて提示する。

私たちは、どこまでも自由で自在だ。

どこにでもいけるし、何にだってなれる。
誰も、何も、関係がなく。
自分がただそう、望むのなら。

PROFILE

プロフィールとこれまでのSTORY

高西愛美

1986年11月29日生まれ、
愛知県出身・福岡県在住。B型。

幼少期より自我が強く、
自分の意見を持つ子どもとして育つ。
学校では"優等生"のレッテルを貼られることが多く、
窮屈さを感じる一方で、
周囲からの評価を元に
自在に立ち回る強かさと柔軟さを身に付ける。

その後、人物多様性の進学校に入学し、
"個"で繋がる喜びに目覚め、
"私は私"の意識を強く持つように。
卒業後は大学には進学せず、
1年後に結婚・出産。周囲を驚かせる。

"私は「私」のプロになりたい"

2児の母として子育てをしながら、
2013年、フリーランスとして独立。
"職業=自分"として、自己探求を行いながら
肩書や仕事内容に捉われることなく仕事を展開する。

2015年、離婚を機に東京へ拠点を移し、
1年後に再婚するも、再び離婚。
仕事のハードワークも重なり
心身ともに疲弊してしまい、
知人の勧めでカウンセリングに通う中で
感受性強い自身の
HSP性質(Highly Sensitive Person)などの
そもそもの自分の性質と深く向き合うようになる。
幼い頃からどこか感じていた
"生きづらさ"を解消する過程で
それまでの働き方、暮らし方、
人付き合い、自分の扱い方を
HSP含む自身の"核"となる性質に合わせ
リデザインし、大きく転換させる。


2018年に知人の縁でドイツへ移住。
異言語・異文化のドイツでの生活、
近隣欧州を訪れる中で
「どこにいようが何をしていようが、
私は私でしかない」ことを強く実感し、
フルリモートワークでの
海外フリーランスを1年経験したのち、帰国。

帰国後は福岡を拠点に
、東京、大阪、名古屋を中心に全国を自由に移動。
2020年、株式会社EXSENSEを共同で設立し、
取締役に就任する。
同時に個人MANAとしても、
「私を生き切る、使い切る。」をコンセプトに
"自分という存在の持つ煌めき"を活かし
生きるための啓蒙活動を行う。

その時々の自分に素直に真っ直ぐに。
ただ1つ決して変わらない"私という存在"を
人生のパートナーに、
向かいたい方向に自己を委ねて、
自由に自在に変化を重ねていく。
自分自身を追求、行使する中で展開される
アーティスティックな生き方と多面性は、
見るものを惹きつけ、
常識や価値観を超えた
独自の世界へ人々を誘(いざな)っていく。

BIOGRAPHY

誕生から今までの軌跡

気付いた時から、もう既に"それ"は在った。

いつから在ったのか?
きっと最初から。
なぜ在ったのか?
分からない。でもきっと、それが自然だったから。
add

幼い頃から自我が強く、好き嫌いがハッキリした子どもだった。
あれはイヤ、これがいい。普段はいい子で過ごしていても、
一度こだわりを見せると、要求が通るまでトコトン強情だった。

「女の子なんだから」
「お姉ちゃんなんだから」「妹なんだから」
・・ だから、何だというのか?

女の子だろうが、姉だろうが、妹だろうが
それよりも前に、私は「私」で、
大人が告げる理屈の筋は通らなかった。

誰に教わらずとも最初から在ったもの。
確固たる"自分自身"。

どうして「私」を見てもらえないのか。
どうして「私」を聞いてもらえないのか。
どうして「私」に触れてもらえないのか。

幼い問いの答えは、
成長と共に自ずと明らかになっていく。

この世界には「こう在るもの」という、見えないルールや枠組みがある。

この世界には、最初から望まれる姿があった。
それに合わせて、正解があった。正解を導く型があった。
そうか、それなら形を変えよう。

世界の望む姿に合わせて私の一部を変化させると、世界の扉は易々開く。
親も、先生も、友達も、そこにいた。
幼い頃は、世界の全てがそこにあった。

三姉妹の次女として生まれた私は、そもそもの幼い頃から"自分"を強く持つ子どもでした。好き嫌いの意思表示はハッキリしていたし、自己主張も姉妹の中で一番にしていました。納得のいかないことには「どうして?」と真っ直ぐに疑問をぶつけたし、その答えにも納得いかなければずっと変な顔をしていたし、親としてはまず間違いなく扱いづらい子どもだったんじゃないかなと。(いえ、概ね"イイコ"でしたが)
成長するにつれて「よく分かんないけど、どうやら色んなことには求められる正解があるらしい」と気付いた私は、自分の主張を通すにはその枠組みや正解にうまいことハマるのが得策だと思うようになります。この辺り、完全に小賢しい(笑)周囲をよく見ていれば、どう反応し、行動し、そのためにどう自分を扱うのがいいか何となく見えたので、そこからは評価を得放題!"世界に合わせて自分を自在に扱うこと"は、自分をうまく運ぶための幼き私の戦術から始まったのでした。

「誰も私を理解できない」
当たり前だ。だって誰も私じゃないから。
add

毎日はとても充実していた。
けれど時に、強い孤独に苛まれた。

親も、先生も、友達も、恋人も、パートナーも、
本当には私を理解しなかった。理解できなかった。
その度に責められたし、私もまた、相手を責めた。

理解されないということは誤解されることと同義だったから、
理解してもらおうと必死だった。理解させようと必死だった。
求めては傷つき、傷ついても尚、求め続けた。

「人に期待しない」

そう言われても、期待し続けることはやめなかった。
期待しないことこそ、寂しいことだと感じていたから。
人を求めた。私を求めた。

気づいたのは、ある日突然。
それは最初から"識って"いたこと。

「私は私のものでしかない」

この体も、この想いも、思考も、感情も、全部、ぜんぶ。

同じ"人間"であったとしても、"同じ人間"であることはなく。
"共有する"ことはできても、"一致する"ことは必ずできない。
(あるのだとしたら、それは幸せな錯覚だ)

だから、求める。だから、惹かれる。
"それで良い"のだと、唐突に分かった。

誰に理解されずとも、私は私でしかなくて。 孤独はむしろ「私が私であること」の、一つの証明でもあった。

子どもの頃から大人になって暫く経つまで。私は「孤独」がとても怖くて、特別「孤独」を嫌っていました。いつもどこか寂しくて人を求めていましたが、誰も私を私の思うようには理解できず、「分かる〜〜!!」なんて軽々しく理解されようものなら、相手に大して嫌悪感すら覚えていました。
自分の内側にある微細な感情の揺れ動きや、複雑に絡み合う様々な事象は、私にはそれだけ大切なものだったし、そう易々と分かってたまるかとも思っていました。だからこそ、それら全てを感じ取って理解してくれる人が現れることを期待し続けたのだけどーー今思えば、どれだけハードルを上げまくるのかと(笑)
自分と相手は違う人間。頭では当たり前に分かっていても求めてしまうのは、自己肯定を誰かに委ねていたからかもしれないし、不完全な「人間」として生まれたことによる「欠けたピース」を補いたかったのかもしれません。でも、「(相手も私も)不完全な人間」だからこそ、一致するのは叶わない。今も時折孤独は襲うけど、かつての様に孤独を嫌うことはありません。孤独である、人を求める、それでもやっぱり孤独である。「それで良いのだ」と分かるまで、随分長く苦しんだものです。

私は私のプロになりたい。
私を理解し使いこなすことが、私として生まれた意味。
add

人には大して興味が持てず、自分にばかり興味があった。

どうして自分は"そう"なのか?
自分の「造り」を知りたがった。
何を感じ、思っている?
今も昔も世界を通じて、私は私を探り続けた。

マンガを読むこと、好きなアイドルを追いかけること、
筋トレをすること、天井を眺めること。

好きなことはたくさんあって、
些細なことまで挙げ出したらとてもじゃないけどキリがない。

だけど中でも好きなこと。興味深くて止められないこと。
自分を理解し、深めること。生涯かけて、続けていくこと。

「私は私のプロになりたい」

いつだったか、そう口にしたことは
「意味が分からない」と言われたけれど、
意味が分からない。その意味こそが分からない。

他の誰とも同じではない、「私」という独自の存在。
私という人間だからこそ、持ち得るものがたくさんある。
外見も、性格も、才能も、技術も、私だからこそ"そうである"もの。
感情も、思考も、性質も、視点も、私だからこそ"そうなる"もの。

それらをもしも知らなければ、私は「私」を生かすことができず
それらをもしも使わないなら、私は「私」の意味がなくなる。

「私は私のプロになりたい」

「私」として生まれた私の、それは確かな使命だから。

「自分をよく知ってるね」「自己理解力が半端ないよね」私を知る人は、私についてそう口にします。事実、私は自分のことをよく知っていて、実際に使いこなしてもきています。ーーそれは何故か?「私の最大の興味対象が"私自身"だから」これに尽きます。自分を知ることは私にとって何よりも面白いことで、自分を明らかにすることで仕事でもプライベートでも自分をより自在に扱えるようになっていくので、それが本当に楽しい。
特に「日常的に感じること・思うこと」の中には、価値観や美学、制限や思い込みなど「今の自分を作る核(コア)」が隠れていることが多いので、掘り下げる中で知らなかった私を見つけると嬉しくなるし、不要な思い込みをまだ握り締めてる自分に出会って笑っちゃうことも。自分を掘り下げることは「私が私として生きるために」必要なもの・不要なものを選別するきっかけにもなります。私たちはそれぞれみんな"自分"として生まれてきた。だからこそ、この自分を活かし生かすためにも、これからも理解を深め続けていきたいです。

何を目指しているのですか?
特に何も目指してはいなくて、
どこに向かっているのですか?
特にどことも決まってもいない。

決まっているのはただ一つ。
その時々の"私自身"に、真摯に素直にいるということ。

add
自分を深めることに合わせて、
世界を広げることも、好きなこと、追い求めたいことだった。
物理的にも、心理的にも。

可動域を広げることは、私自身の可能性を生む。
だからアンテナはいつでも立てて、
やりたいことを実現し続け、流れが来たら迷わず乗った。

結婚も、離婚も、海外移住も、会社設立も。
うまくいくか?より、重視するものがそこにはあった。

楽しいだけの人生よりも、穏やかなだけの人生よりも、
自分の気持ちに真摯に真っ直ぐに、
エキサイティングでドラマティックな人生を歩みたい。

いろんなものに触れてみたいし、いろんなことを経験したい。
その先の世界と、その先に現れる新しい自分を見てみたい。

高校を卒業した辺りから何かとお騒がせに生きてきた私は、人に自分の人生を話すと大体「波乱万丈」「面白すぎ」と言われます。19歳での妊娠・結婚・2児の出産に始まり、その後の離婚、再婚、また離婚とか、社会人経験なくフリーランスになるとか、愛知→東京に移り住むだけじゃなくドイツにまで移住しちゃうとか、帰国して会社を作るとか←今ここ。
ライフスタイルを大きく変える物事だけじゃなく、日常的な小さなこともその時々のブームがあって、「え、そこに行くの?」とよく分からないものに傾倒しがち。そんな私は周囲から見ると一貫性のない人間にも見えるようで、比較的距離の近い人にも「どこに向かってるの?」と聞かれることもしばしば。けれどそれは愚問です。なぜなら私の根底には「その時々の自分に真っ直ぐでいる」という並々ならぬ意志があるので、そもそもどこに向かう・向かわないの話ではないから。そして一見一貫性がないように見えても、実はめちゃくちゃ一貫性に則って色んなことを選んだり選ばなかったりで生きているから。
せっかくこの世に生まれたからには、可能なことは何だって経験・体験してみたい。だからこそ私は、きっとこれからも(表面的には)一貫性のない人生を歩み(本質的には)一貫性ありすぎる人生を歩んでいくことでしょう。経験の全てが未来の私を作っていくので、自分に制限をかけることなく新しい世界に今後も飛び込んでいきたいです。

私に世界を合わせる自在さと、
私を起点に世界と繋がり、私から世界を創っていく。
世界のカタチを私に合わせて変えていく。
世界に私を合わせる自在さと。
多種多様な世界に合わせて私のカタチを変えていく。
理解と尊重、そして共存。脅かしもせず、争いもしない。
add

"私"にこだわることで生かされる私があり、
"私"にこだわらないことで生かされる私があり、
"私"にこだわることで広がる世界があり、
"私"にこだわらないことで広がる世界が存在した。

何を選んでも選ばなくても、私は生かされ、世界は広がる。
それを識ってさえいれば、私はどこまでも自由になる。

自分のことを縛るものは本当の意味では何もないのだと気付いた時から、私は一層自由になり、一層自在になりました。何を選んでも、選ばなくてもいい。自分を発揮しようがしまいが、自分に真っ直ぐでいようがいるまいが、「私が私を識ってさえいれば」(と書きながら、むしろそれさえ不要なのかも)、私も世界も、どこまでも鮮やかで光り輝いていく。だから今日も私は私を生きていくし、私を使ってどこまでも世界を楽しみ広げていくのです。

これまでの人生、
幸福や喜びもたくさんある中で、
辛くて痛い思いもしてきたし、
人や自分を傷付けたこともありました。
けど、その時々で自分の思いに
真っ直ぐに精一杯やってきたからこそ
今の私や日々があり、
後悔することは何もありません。

2020年にはパートナーと法人を共同設立し、
同時に個人「MANA」としてもこのサイトを立ち上げ
これまでの人生の中で得た私自身の思想や
哲学を元にした発信や活動も行っていきます。

コンセプトは、"私を生き切る、使い切る。"

これから先も、
私は私を深め生かしながら、
新しい世界を拓いていきます。
その時々の自分に素直に真っ直ぐに。
向かいたい方向に自己を委ねて、
自由に自在に変化を重ねて。
ただ1つ決して変わらない
"私という存在"を人生のパートナーに、
ますます自分を、人生を、
煌めかせながら進んでいきます。

3 SYMBOLS

MANAを象徴する3つの要素
(オタク×HSP×表現者)

オタク

『好きなものの存在は、世界を豊かに色鮮やかにしてくれる』と
心から信じ、好きなものにはとことん情熱とエネルギーを傾けながら生きている。
周囲からは「偏愛」が凄いと専らの評判。
好きなものは数多あれど、常に一番の興味対象は外でもない
「自分自身」で『自分を自分の最推しにする』が揺るがぬモットー。
MANAのバイタリティの源。

HSP

自分の感覚・感情を細やかに救い上げ、世界や物事を解像度高く
捉えていくMANAの持つ高い感受性の元となる性質。

HSP
=Highly Sensitive Person
(人一倍繊細・敏感な気質)
HSS
=High Sensation Seeking
(活動的で刺激を求める気質)

MANAはどちらも持ち合わせる。

一般的に生きづらさの理由とされるこれらの性質は
制約ではなくただの事実であり、活かすべき性質の一つとして、
日々自分に目を向けながら、より良く生きる方法を模索している。

表 現

『表現は望む現実を創造する、自分と世界を繋ぐ架け橋』であり、
MANAにとっての表現は世界への意志表示、自身の存在証明に
当たる。
発する言葉、身に付ける衣服や髪の色、仕事や人間関係、歩んできた人生さえも、自分を取り巻く全てが自分を表現するものであり、
表現においては、"自分との一致率の高さ"をとても大切にしている。